降りゆく雪。舞い上がる地吹雪。引き裂かれ紅に染まる、ある少年の濡れ羽色の衣に包
まれた胸。藍白の衣を少年の紅に染めて泣く少女。紅い液体で爪を彩った猫又。
 ぱっと嵐の頭に閃いた。額を押さえ、眉を寄せた。莉那が隣にいる。
「どうしただ?」
「……教官とこ行って来る。お前は帰ってろ」
 それだけ告げると嵐は走り去った。莉那は首を傾げたが狼さんは恐いんだとつぶやきな
がらその言葉どおりに帰った。
 ヴィジョンだった。嵐と都軌也を繋ぐ紐。それぞれの死を互いが意識に関係せずに視ら
れる、精神感応。
 無礼と怒られると分かりつつ教官の部屋にノックもせずに入った。
「教官!」
「何をしている。入りなおせ」
「それどころじゃありません」
 嵐は斜の構えで言うと月夜の行方を聞いた。
「あいつは任務中だ」
「あいつが死にます。新人にあの大きさの化け猫を祓わせるのは酷です。なぜ」
「どれぐらいの大きさだ?」
 声質が変わった。緊迫した空気が辺りを包み込む。嵐は深呼吸をして落ち着かせるとい
った。
「ざっと、二十五メートルぐらいはあるでしょう。高さは十五メートルから二十メートル。
いくらなんでも大きすぎです」
「紙には十の五と書いてあるが……上の連中しくりやがったか?」
 不機嫌そうに呟くと椅子から立ち上がった。風が鋭く吹き抜ける。
「今は叱らないが、以後このようなことしたら覚悟して置くように」
「はい」
 頷くと教官について行った。その静かな声に共感は深く溜め息を吐いた。移動しながら
嵐に訊ねた。
「お前が望むのは支援か? それとも迎えに行くことか?」
「望みとしては前者ですが」
「掟は掟だ。動く事だけでも未来は変わる。大丈夫だ。まだ予感はしてない」
 肩を竦めると教官は路を開いた。黒い穴の向こうにあるのは冷たき雪。嵐は溜め息をつ
いてその中に入った。
 風が吹いた。月夜は来た方を振り返り訝しげに眉をひそめた。
「どうしたの?」
「嵐と教官がこっちに来た。何かあったのか?」
「でも、手は出してくれないでしょ」
 そうだなと頷くと化け猫を見た。薬は毒となる。月夜は薬の調合が出来る。それは一族
の分家筋にあたる家が薬師の一族だからなのだが、薬を扱うからなのかは分からないが極
度に毒に強い体をもっている。並みの毒では動けなくならない。だから分かる。化け猫が
爪に仕込んでいる毒が触れられればすぐに死に至る劇物だという事を。
「爪には中るな。死ぬと考えろ。劇物だ」
「そう。で、どこら辺にひきつければいい?」
「とりあえず刺さりやすい所を狙う。隠蔽結界張ったまま後ろに乗る。目を狙う。外れて
も顔だ」
 頷くとなれた様子で犬神にまたがった。犬神も素直に体勢を低くし乗りやすいようにし
ていた。月夜もひらりとそれにまたがると軽く後ろ足を叩いた。
 犬神は飛翔した。そして月夜は自分に隠蔽結界を張り犬神の動く様をイメージした。そ
してそれの通りに犬神は動く。
「藺藤」
 気付いた時には遅かった犬神に化け猫の爪がかすった。月夜の顔色が変わった。かすっ
たのは犬神の右前足。月夜の右腕にも同じ様な傷が出来た。
「ちょ、共鳴してんの?」
「ああ。俺はかすったぐらいじゃ平気だ」
 そう吐き捨てると化け猫の正面に向かった。雪が降り続いている。枯れ木が周囲に広が
り白と茶色の単調な冬景色を創っている。
「縛れよ」
「うん」
 夕香は一瞬で化け猫を縛った。霊力と神気で作った銀色の檻。力あるものならばそう見
えるだろう。月夜は完全に化け猫の動きが止まったその瞬間を狙った。木の槍が放物線を
描いて飛んでいく。その切っ先は月夜が狙ったところに寸分も違わずに突き刺さった。即
ち、目。
 そのときだった。化け猫の妖気が膨れ上がった。そして何かが弾けるような音がして銀
色の檻が消え去った。
 夕香が術を返された反動で吹っ飛ばされた。動こうとしたが毒のせいか思考がまとまら
ずに動けなかった。それどころか犬神が猪突に消え去った。月夜は化け猫を正面から見つ
めた。大きな爪が自分に迫る。ここまでか。
 自然と体が動いていた。右腕を前に突き出し左手で右手を支える。一気に月夜の霊力が
放出される。どこかで夕香の霊力もつられて放出された。
 風の音と自身の鼓動しか聞こえてない。空を切る冷たい雪交じりの風。速くなる自身の
鼓動。自分の体から放出される力のその熱さに陶酔しながら化け猫の最期を見つめた。
 断末魔の叫びを上げて化け猫は消え去った。その直後月夜は地面に落ちた。着地したの
だがダメージを殺しきれずに右ひざを痛めた。
 ふと、夕香が気になり探すと、どこにも無かった。気配を探ると森の方にいることが分
かった。走って行きたかったが毒のせいか走れなかった。また、雪が降るところに狩衣一
枚できたからだろうか手先足先が冷え切って寒かった。
 歩いて歩いて夕香のところに行くと、夕香は雪に埋もれていた。気絶しているらしくぐ
ったりとしたまま動かない。
「おい」
 抱き起こして呼吸を確認して揺すった。木の枝があたりに散らばっていることをみて、
木の枝がクッションになったと息をついた。揺すっていると夕香はふと目を開けて瞬きし
てほうと息をついた。
「大丈夫か?」
「木の枝が体に刺さっているだけ。さむい」
「ああ」
 動けなさそうだなと判断して月夜は夕香を背負った。不思議なくらい軽かった。まった
く力が入らないらしくぐったりと月夜の背中に体を預けている。その様子に違和感を感じ
て前に回されている腕をじっと見た。
「何された?」
「寒くて……。昔から寒いと動けなくなるの。落ちた時も、受け身取れなくて」
「わるい」
 そう呟くと一歩一歩教官がいる辺りに向かう。だが、走って五分かかったのだ。歩いて
十分以上はかかる。毒に体を蝕まれ凍傷で動けなくなり始めている月夜にその十分は耐え
られるものなのだろうか。
「毒は大丈夫なの?」
「今のところ、動ける。お前は自分だけを気にしていろ」
 倒れてはならぬと叱咤しながら折れそうになる膝に力を込め歩く。酷く、寒かった。
 どれくらい歩いただろうか。大分毒が回ってきた。視界すら定まらない。立ち止まった
月夜に夕香が話し掛ける。だが、その言葉すら聞こえてない。ただ、彼の意識を保たせて
いるのは気力だけだった。
 まるで水の中に入って目をあけたようなにじんだ白い世界に体の感覚もなく耳は聞こえ
ない。一人でそこにあるような気もする。だが、近くにいるとわかるのだ。何故だろう。
ここまで何かを確信できるのは初めてだった。。
 まだ、月夜は気づいていなかった。自分の胸にあるその気持ちを。ただ、歩いて歩いて、
無限とも思われる時間を歩いて視界が変わった。
 茶色い人影が近寄ってきた。最早意識もない。ただ気力だけで体を動かしていた。後ろ
でもぞもぞと動いているのが分かる。何故だろう。視界がぶれた。急速にその色が色あせ
ていく。暖かい誰かの腕に倒れこむのを押さえられた。そこで月夜の意識が無くなった。
「おい、いきなり倒れるな」
 月夜の背から夕香を取り上げ倒れた月夜に呼びかけた。教官が素早く駆け寄り月夜を支
える。そしてうつ伏せの月夜を反転させ仰向けにして呼吸を確認。そして脈拍を確認して
目を細めた。
 さすが教官だった。手際よい。教官は自分より数センチ背が小さい月夜を背負うと夕香
を抱き抱えている嵐を連れて元の世界に戻った。


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